相模原のことに対してあたいが感じた行い。

今年一番の衝撃的な媒体だったのは、過日話題になった相模原の殺生ことです。
「障がいパーソン」だからと言って、それが殺害する理由にのぼるですなんて、あってはならないし、率直、犯人の殺害起因やその心中が理解しがたい。
それはわたし自身が厚生職に就いて、毎日開発障がいを持つ顧客とかかわっていることもすごくあるとおもう。
わたしは、こういう厚生勤めに自信を持って勤める。
確かに月給面ではほかの業務より敗れるかもしれないし、労役も多い。
人によって合わないと感ずる人も多いだろう。
しかし、わたしはこういう仕事でコスト以上のプライスを毎日得ることができていらっしゃる。
開発障壁を持つ人たちは、相当純粋です。
仮に、わたしが「煩わしい」「この人、拒否です」というような、適当な立場や気持ちを持っていれば、直ちにそれを感じ取り、お客様もわたしを拒否するだろう。
そして、自分に明確で率直です。
どんな人でも長所と短所は生じる。それは紙一重なもので、空気やその場に応じて長所にもなれば足もとにもなるのだ。
わたしは、開発障がいは足もとのように受け止めるのではなく、その人の人柄の感じだと捉えているし、出来ない現実(足もと)を調べるのではなく、良い現実(お家芸)をグングン伸ばしていきたいと想う。
今回の犯人のような心持ちを持つ顧客が厚生勤めや、場所に暮らしているというのは、図るだけでぞっとする。
微力な身にやれることは少ないが、地域の取り分け適切に障がいが盛り込みられ、共に通じることができ、覚えあえる社会になれば。と狙うばかりです。