いくら政治に鈍感でも、何かおかしいと感じるときがある

いつものことですが、ターミナルで競争法案、憲法改悪、アベ政治反対のビラ配りを見ました。年寄り年が多いように見える。そして常に反対パワーの所感はわかりません。反対という所感は、病状を解決するのでしょうか。右側とか左側とかで区分けすれば、年寄り年の多くは左寄りの学習を受けています。賑やか憲法の証は憲法第9条、競争断念は国是、中学生の世間の時間に憲法を暗記しました。大学に入ると反事例の学徒実行が盛んで、活動しないノンポリでも反事例に肩を持つのが、不謹慎なことに、かっこいいと思いました。毀損の先にポジティブなルートが見えないのは不毛だ。それでも反事例の面倒は強烈で熱烈でもありました。今の野党連盟にも共通したものを感じます。日本の無事確信、領土護衛をどうするか、一般人をどうして続けるのか、真剣に交渉し道順を明確に上げるべき場面なのに、ルートを示すことができません。トランプさんの言うことにも一理あります。日本に基地を置いて防衛すると言ったのはアメリカ合衆国で、日本の護衛がアメリカの護衛にのぼるというのが日アメリカ安保の要所だ。それを更に見直すべきだとトランプさんは言っているのです。トランプさんが大統領になれば、こういう所感はアメリカの国是だ。悪くはないと思います。沖縄基地返済が実現するかも知れません。普天寸法も辺野古の病状も不幸な乱暴異変も尽きるのです。憲法改訂、自衛隊の病状は、本来は日本の無事確信、国防直感が定まれば解決する問題です。これらの病状に年寄り年はずーっと目をつぶってきました。無茶とされてきたことに触れられる結果アレルギー意見もあります。しかし、時代の潮目は変わりつつあるようです。ただ専ら競争法案反対、憲法改悪反対を働き掛けるリアリズムを欠いた所感は不毛だ。じゃあどうするのという重要な病状を置き去りにやるからだ。遅かれ早かれ一般人はスゴイ選定を迫られるかも知れません。これから腹を決めておかないといけないようです。